2010年春山合宿「富士山」

登山開始

1.山 名   富士山

2.目 的   高所順応

3.参加者   伊藤  山根(会計) 宮元(装備) 木村(CL) 濱口(SL) 水廣(食料) 京野(記録)

4.行程

  5/1 12:00小月ホンダ⇒12:10小月IC(中国自動車道)⇒山口JCT(山陽自動車道)⇒吹田JCT

       (名神高速道路)⇒亀山JCT(東名高速道路)⇒四日市JCT(伊勢湾自動車道)⇒豊田JCT

       (東名高速道路)⇒24:50御殿場IC⇒御殿場新五合目駐車場

  5/2 7:40新五合目駐車場⇒10:50新五合目五勺⇒14:00六合目⇒16:50七合目日の出館

  5/3 7:10七合目日の出館⇒12:10山頂⇒13:15下山開始⇒16:00七合目日の出館

  5/4 5:30七合目日の出館⇒6:30六合目⇒8:50⇒新五合目駐車場⇒9:50富士宮駐車場

      (頂上組と合流)⇒12:50新富士オートキャンプ場

  5/5 2:30新富士オートキャンプ場⇒3:00富士IC⇒14:50小月IC⇒15:10小月ホンダ

5.報告書

5月1日(土)

連休初日、心も浮き立つような晴天。今年の春は天候不順であったが、それがまるで嘘のようだ。
いよいよ、春山合宿に出発だ。
この日のために休日には必ず山に登りトレ-ニングをしたが、自信はない。
なぜなら、私は今までアイゼンを使ったことがないからである。
以前山岳会の先輩から「山に行く前には部屋の片付けをしないほうがいい。
したら遭難しちゃうよ」と言われたことがある。
その言葉を信じ、この二、三ヶ月部屋の掃除をしなかった。
見事に埃まみれとなり廃墟と化した部屋を一抹の不安を感じながら後にした。

12:00小月ホンダを出発。小月ICから中国自動車道に入った。

高速道路に入ってすぐにパーンという音がしてフロントガラスにひびがはいった。
歴史ある下関山岳会の春合宿を阻もうとする輩が狙撃という無謀な行動に出たのかと思ったが、
前方を走行する車が小石を弾いただけであった。
山陽自動車道、名神高速道路、伊勢湾岸自動車道、東名高速道路を通って御殿場ICに向かう。
片道12時間の長い行程である。
5連休初日とあって下りは渋滞していたが、上りにはさほど渋滞は見られず、快適であった。
ただ、宝塚辺りで事故があり少々時間をロスしてしまった。

24:50御殿場ICを降りて、富士スカイラインに入る。
富士スカイラインに入ると鹿が歓迎(?)してくれた。
野生の鹿を見るのは初めてである。つぶらな瞳がとてもかわいい。
馬鹿という言葉に「鹿」の字が使われていることが誠に残念である。

予定時刻より遅れること1時間、1:15御殿場新五合目の駐車場に到着。すぐにテントを設営。2:00就寝。

5月2日(日)

6:15起床。今日も快晴で、駐車場から富士山がくっきり見える。
富士山の姿を見たら俄然闘志が湧いてきた。朝食をとった後、トイレに直行。
そこでとんでもないものを目にしたのである。
トイレ近くに看板があり「新五合目標高1440M」と書かれているのである。
悪天候の為中止となってしまったが、昨年11月にも富士山の計画があった。
そのときは富士吉田の五合目から登ることになっており、そこの標高は2400Mであった。
だから私は今回も2400Mからのスタートだと思っていたのである。

頂上が同じであれば、登山口がどこであろうと五合目の標高は一緒と思うのが普通ではないだろうか。
まだ十分覚醒していないのだろと思い、何度も目を擦り看板を見直したが、やはり1440Mであった。

今回のCLのK氏に確認をとったが、それは紛れもない現実であった。
1300M登ればいいのと、2300Mも登らなければならないのは、大きな大きな大違いである。
闘志はすぐに塩をかけられたナメクジのように萎えてしまった。
受け入れ難い現実を目の当たりにし、すぐに荷物の軽量化を図った。

防寒着と水を割愛したのである。しかし、これによって後に地獄をみるのである。
六合目では喉の渇きに身もだえ、頂上では寒さに身震いしたのである。

7:40駐車場を出発。
鳥居の前を通過し登山道に入る。今年は気温が低く、駐車場の辺りから雪があると思われていたが、
幸い雪はなかった。砂利道を行くこと20分、大石茶屋に到着。
ここで休憩をとった後、ブルドーザー道と呼ばれる道を登っていく。
淡々と変化のない砂利道が続き、1時間も歩くと飽きてしまった。
ブルドーザーが走っていたら乗せてもらおうと思ったが、残念ながら走っていなかった。
30分歩いては5分の休憩を取りながら進む。
  
11:00五合目五勺に到着。出発して3時間も経つのに、未だ五合目五勺である。
今までの私の経験だと三時間も歩けば頂上に着いて喜びをかみ締めながらビールを飲んでいるのである。
ため息とともに富士山の壮大さを痛感した。さすが日本一の山である。
この辺りからは勾配が急となり、雪も積もっている。
夏はブルドーザー道を登山道、大砂走りを下山道とするのだが今回は大砂走りを登った。
しばらく登ると雪に埋もれた小屋があり、そこでアイゼンを装着した。
アイゼンをつけた初めての雪山登山である。みんなからアドバイスを受けながらの実践だ。
原則は、疲れない為に蛇行するように登ること、滑落防止の為に必ず谷側の足先を谷の方向へ向けることであった。頭ではわかっていても慣れていないと上手くいかない。
斜めに歩こうとすれば、そのままダラダラと水平移動してしまう。
後ろから何度も「上へ登れ」と声をかけられた。
水平移動をしてしまえば、何時まで経っても頂上に辿りつかない富士山六合目トレッキングツアーになってしまう。また、谷足というのは生理学的に不自然で、どうしてもついつい足を平行に出してしまう。
そうすると滑ってしまう。雪山は難しいのである。
14:00やっと六合目に到着。
「きつい」という言葉しか出てこない。空気が薄くなったのか、頭まで痛くなったような気がした。
その時、秘密兵器「食べる酸素」を持ってきていたことを思い出した。
一日20粒までという注意書きがあったが、一気に40粒食べてみた。何の効果もなかった。
こんなくだらないものを造る会社はいつか倒産するだろう。

六合目からは更に勾配は急となった。
今検尿したら絶対に潜血反応が出るに違いないと思いつつ、登ること3時間、

16:50ようやく七合目の日の出館に到着。
到着したものの涙なしでは語れないような現状が待ち受けていたのである。
日の出館っていうから二階建てくらいの旅館があって、その側にテントを張るのかなって思っていたのに、
そこには雪に埋もれた汚いトタン屋根があるだけなのである。
その上テントを張るだけの十分な平地はなく、
疲れ果てているのに今から宅地造成作業をしなければならないのだ。
ピッケルを使って凍った斜面を掘り起こし平らにした。
気分はすっかり凍てついた蝦夷の大地を開拓する屯田兵であった。
ぎりぎり五人用のテントを張ることのできるスペースを確保。
本当に崖っぷちに張っていて、突風が吹けばそのまま滑落していきそうである。

18:40テント設営終了。夕食を摂り、

21:00就寝。五人用テントに七人なので鰯の缶詰状態であった。
日が沈むと風が強くなり、不安で眠れそうもなかった。
全員がヘッドランプを消すとすぐにY氏が地響きのような鼾をかき始めた。
この状況でも彼は不安を感じることなく熟眠しているのである。
彼の鼾は私に安心感を与えてくれ、まるでシューベルトの子守唄のようであった。

5月3日(月)

6:15起床。曇り。朝食を食べながら今後の行動について確認する。
山頂泊グループと七合目まで戻り泊まるグループに別れることとなった。
私もせっかくだから山頂泊を経験したいと思ったが、
下山に自信がなかったので今日のうちにゆっくり時間をかけて下山することにした。
7:10出発。右手にわらじ館を見ながらトラバースして稜線に向かう。
斜面はしっかり凍っているので歩きやすいのだが、滑ってしまえば山は巨大な死のすべり台と化し、
あの世まで滑って行ってしまう。
ピッケルをしっかり突き刺し、谷足を死守しながら登っていった。

11:10赤岩八合館に到着。ここからが更にきつく、富士山の本番って感じであった。
写真を見ても判るが山頂付近は相当急勾配なのである。そのうえとにかく風が強く、
恐怖感を覚えずにはいられないのである。向かい風を受けると呼吸ができないし、
時折吹く強い風はまともに受けると飛ばされそうである。
三歩あるいては立ち止まり呼吸するのだが、吸っても吸っても酸素が肺まで入っていかない感じなのである。
九合目位になると何も考えずに登っていたと思う。
ひたすら登ること二時間、急に平たく広い所に出た。「頂上に着いたよ」と言われた。

   
   


12:10頂上に到着。
山頂の広いことにびっくり、山頂に登れば360度視界が広がっていると思っていたのだが、
見えるのは駿河湾だけなのである。
山頂には直径800Mの火口があり、その周りに八つの峰があり、
一番高い剣ヶ峰が富士山の標高になっていることを登って初めて知ったのである。
こんなことも知らないで登ったのは私くらいだろう。
山に登る度に賢くなるようである。神社の近くにみんなでテントを設営。
テント設営後、山頂組はお鉢巡りをし、七合目組は下山を始めた。

13:15下山開始。
今日中に下山することを決めたのは正解であった。
問題は登ることではなく、下山にあったのである。
登頂した喜びを吹き飛ばすような恐怖の下山が待ち受けていた。
登るときはただ頂上を見て登るので高さを感じることはないが、
下山する際は嫌でも下界が目に入り高さを感じてしまうのである。
そのまま滑っていきそうで怖くて一歩が出ない。
結局自力下山は無理なのでザイルで確保してもらった。
登るのには5時間かかったが、下山は3時間であった。
七合目のテントに辿り着いた時は登ったとき以上に達成感を感じたのだった。
夕食をとりながら山頂組と連絡をとる。山頂組は富士宮登山道を下山することになった。

20:00就寝。ヘッドランプを消すとともにY氏の鼾が始まった。
昨夜はシューベルトの子守唄のように思えた鼾も、立地条件に慣れてしまえばただの騒音だった。

5月4日(火)

4:00起床。晴天。
朝食を済ませ、テントを片付けた。5:30出発。
六合目までは急勾配であるが昨日ほどではないし、風もなかったのでそれほど緊張しなかった。
雪は残っていたが、連日気温が高かったため解けかけていた。六合目まで一気に
1時間で降りてしまった。
途中シリセードをした。
これも私は初経験である。滑り始めて楽しいと思ったのも束の間、重大なことに気づいたのである。

どうやって止まっていいのか解らないのである。全身の血が凍りついてしまった。
前方を歩いていたH氏が私の絶叫に気づき止めてくれた。お陰でシリセードで三途の川を渡らずにすんだ。大砂走りには雪はなかった。大砂走りの下山は快適であった。右手に二つ塚が見えた。
登る時には帰りは二つ塚を通って帰ろうという話があったが、とても私にはその余力は残っていなかった。

8:00五合目五勺に到着。ブルドーザー道を下り、大石茶屋の側を通る。
うす汚い茶屋であるが、それを目にしたときは安堵のあまり涙が出そうであった。

8:50駐車場に到着。「無事生還しました」という感じであった。
駐車場から見る富士山はあまりにも穏やかで美しく、この二日間に自分が体験したきつさ、
恐怖感というものを忘れさせるほどであった。
本当に登ったのかなと思ってしまった。急いで片付けをして富士宮登山口まで山頂組を迎えにいく。
首を長くして待っていることだろうと思ったがまだ下山していなかった。

10:45山頂組も無事下山。みんなで喜びを分かち合った。
当初の計画ではすぐに帰関する予定であったが、新富士オートキャンプ場に宿泊することになった。
キャンプ場では現地調達した新鮮な食材で大宴会。大変沢山飲みました、食べました、満足しました。

18:00就寝。この日は酔っていたので、鼾は再びよい子守唄となったのである。


5月5日(水)

2:00起床。
急いで片付けをして2:30キャンプ場を出発。密閉された車の中はアルコールの匂いで充満していた。
もし警察に止められていたら、呼気検査するまでもなく飲酒運転になっていたことだろう。
有料道路から富士ICに入った。もと来た道を下る。連休最終日

上りは渋滞していたが、下りはスムーズであった。

15:10小月ホンダに到着。
楽しかったかと聞かれるとちょっと返事に困ってしまうのだが、
また行きたいかって聞かれたら、絶対にまた行きたいと答えるのである。
必ず頂上に泊まってザイル無しで下山したいのである。
本当に今回多くのことを学んだと思う。これを次の山行に生かしたい。