下關山岳曾の歩み

下關山岳曾は昭和5年(1930年)勝間健助、若山武雄両先輩により創立されました。

昭和8年8月には伯耆大山、北壁別山を勝間、若山両名が登高する。
=会のさだめ=を発展させ新たな会則が制定され、近郊の山から次第に山域を広げ活発な山行を行い、山岳展の開催、映画会に年報「稜線」第1号の発行もする。

昭和11年、近代登山の波が全国に大きな高まりをみせる時期、初代会長に木下友敬博士が就任される。
昭和12年1月4日冬季伯耆大山北壁を、アタック輝かしい登頂を成し遂げる。
以来66年閥、下關山岳曾と伯耆大山の長い歴史がホームグランドとして存在します。

敗戦の一時期を除き、曾は再び活力を呼び戻し熱意のこもった登山活動をくり広げる。
昭和23年9月、山口県山岳連盟が発足し会長に曾より木下友敬、理事長に岡本包夫が
選出されました。

昭和24年10月 四王司山麓、勝山に初代《くるみ小屋》が完成し岳人の道場となる。
毎年の大山冬季合宿、スキー山行、国体山岳出場、研究登行等に多数の会員が参加した。

昭和28年1月4日曾創設者の一人、勝間健助が伯耆大山剣谷で遭難し帰らぬ人となり、会員一同悲しみに打ちひしがれました。いま伯耆大山上宝珠越えの分岐点に建立されている勝間ケルンは51年の生涯を山に捧げた氏のため会員の手で積まれたもので、四季を通じて多くの登山者に親しまれ数多くの遭難を未然に防ぐことに役立っている。

昭和38年10月第18回山口国体が開催され山岳部門は秋吉台とその周辺の山々で実施さる。
SACも全会員がこれに参加する。
昭和46年創立40周年を記念しヒマラヤヒンズークシュ山脈のウドレンゾム(標高7131
m)に遠征隊を送り出し登頂に成功するも下山中に三上勲をクレバスに失い、彼は帰らぬ人になる。
その年の1O月彼の死を悼み勝山山麓のくるみ小屋敷地に三上ケルンを建立12月に除幕式を行う。

昭和49年には山口県山岳連盟創立30周年を記念しアラスカ マッキンレー峰に遠征隊を送り、SACから5名参加す。またカラコルム バツーラ峰踏査に4名出発す。

昭和5.5年4月 創立50周年事業ではネパールヒマラヤヘ4名参加、又会員作品展をシーモール
下関泉の広場で開催、ヒマラヤ.ウドレンゾム峰遠征記録.会員山行写真.絵画を展示、K2遠征隊長の新貝 勲氏を招き講演会を開く。

昭和57年12月6日曾創設者 若山武雄名誉会長が逝去さる。会員にとりまさに巨星落ちるの思いでした。

昭和58年には朝日カルチャー登山教室が開講されSACが運営を引き受け平成15年閉講するまで20年間活動した。平成15年よりSACが独自の登山教室を開講し盛況に進んでいます。

昭和59年8月20日勝山山麓の『くるみ小屋』が山火事のため焼失、翌年の7月14日 二代目くるみ小屋を豊浦郡、鬼ケ城山麓に建設、完成する。

平成2年創立60周年記念登山で伯耆大山へ総員35名で登頂する。11月には《くるみ小屋》敷地に勝間三上両氏のケルンを建立され翌年3月の講演会に講師重広恒夫氏を招き、祝賀会も盛大に行う。

平成8年4月に休止していた、登山バスを再開した。

平成12年70周年事業ではヒマラヤアンナプナ内院テントピーク(5663m)に5名登頂。

また、山口県の山70座に登り、あらためて故郷の山に思いをよせる。

多くの先輩諸氏が残した足跡を見つめ、地域社会と共存し、長い経験と優れた技術と円熟したリーダーのもと、安全で確実な登山活動の普及に努め引き続きSACは力強く前進します。

下關山岳曾の歴史と歩みについては、『稜線』六十年史及び創立七十周年記念号に記述が網羅してあります。是非ご一読ご覧下さい。